2017年10月23日月曜日

地域に貢献する教会(2)

神の再創造の御業としての教会は信仰の共同体、神の家族だけに留まらず、地域共同体に貢献する存在であることについて共に考えました。

 イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
 家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。(エレミヤ29:4-7)

エレミヤの預言は異国の地に捕囚の民となった神の民がもう一度、律法の書を復唱し、神の意図を実現していくことを示しています。その異国の地に連れ去られた人々の中の一人、ダニエルはその典型的な存在として記されています。彼の生き方は神の民においても、異国の国においても神の前に寄与・貢献する生き方そのものでした。神の再創造の御業はキリストの完全な贖いの業に基づくわけですが、そのキリストの福音を理解することで旧約聖書の意図を明確に捉えた異邦人の使徒パウロは書簡の中でダニエルに示された神の意図を的確に捉え、再創造の御業である神の家族教会共同体の有り様に反映させています。

 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。ローマ人への手紙13章1-3節

 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。--- ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。Ⅰテモテへの手紙2章1-2,8節

つまり、クリスチャンたち、神の家族教会共同体の存在はこの世に対して対決姿勢ではなく、「公民」として知恵を持って福音に基づく「良いわざ」に取り組みます。それは世に対して、地域社会に対して神の福音を飾ることになります。私たちはこの世に対して隠遁するのではなく、無関心の姿勢でもなく、ましてや衝突など、政治的な抵抗勢力になったりすることのないように取り組みます。むしろ対話を生み出すように取り組みます。その対話の機会が福音を、私たちの信仰について証しできる良い機会なのです。私たちキリスト者にとって迫害は避けられないものかもしれません。しかし、不必要な迫害を起こさせることのないように知恵をつくすことも神の家族に対する大切な務め、責務です。そのために私たちは聖書の基本原則に基づいて建て上げられている必要がありますし、対話の機会に的確に福音を語ることできるように備えている必要もあるのです。

 外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。コロサイ人への手紙4:5-6節

 神の家族である教会が真の意味で、実質的に貢献できるために教会に与えられている資源、潜在的資源をも含めさらに豊かにし、教会内外において、とりわけ地域に貢献できるように共に建て上げられると同時に、さらに豊かな資源にしていく取り組みが欠かせません。中でも貢献する資源の一つ、富について健全な考えを持ち、豊かに用いられるように取り組たいものです。(続く)

2017年10月19日木曜日

地域に貢献する教会

「教会主体」の神学教育を進める「教会」はどうあるべきなのか、奥義としての教会がこの世にあってどのような存在であるのか、基本的な考えを確認しておきたいと思います。

1、神の家族である教会は教会内外において寄与・貢献する共同体である。
2、貢献する資源の一つ、富は教会に還元され、教会共同体のみならず地域共同体においても益となるように用いられる豊かな資源となるべきである。

基本原則シリーズⅠは「神の家族」である「教会」について、学習者主体のもとに学びが進められます。神の再創造の御業としての「いのちの共同体」である教会はまさに神の創造目的を実現する共同体です。人間の創造主に対する罪の本質は「自己中心」、「自己本位」です。結果として真のいのちの交わりとしての共同体はゆがめられました。そのゆがめられた共同体を創造目的に再興する目的のためにキリストによる福音、先行的救いが備えられています。その福音によって生まれた再創造の御業としての教会は、建て上げられた教会に留まらず、地域共同体にまで広がっていくことが意図されています。それが主の宣教大命令と直結します。それゆえ神の再創造の御業が実現する真の共同体は人を建て上げる最良の場であるということです。

「個人の尊厳」それ自体は否定されません。しかし「個人主義」は聖書の創造目的とは異なる価値観です。すなわち、建て上げられるクリスチャンたちは個々人はもはや「我が道を行く」存在ではなく、聖書の基本原則に基づいて互いに尊敬と信頼を持ち、互いに建て上げられていく存在なのです。個々人の生活から、家族の中で、地域共同体、つまり職場や学校教育の場をも含め、キリスト者としての生き方を知恵深く習慣化していくように取り組みます。学習者主体、かつ「対話・問答」の学習を通して、自己中心を克服し、いのちの交わりである共同体の中で生きる知恵を豊かに育んでいきます。それが主の宣教大命令に応える取り組み、宣教大命令を実現する取り組みに直結しているのです。

基本原則シリーズⅡにおいては神の家族教会の核となる個々の家族、神の摂理の中で与えられた家族をいかに建て上げていくかについての取り組みです。この「個々の家族があって教会」と考えがちですが、神の家族である教会には個々の家族を建て上げていくリーダーシップが与えられています。そして建て上げられた家族は次世代、三世代、さらには四世代へと建て上げ、同時に信仰の継承に取り組みます。それを可能にする「額にあせする」労働の尊さを理解します。これを実現するためには若い時代から「信仰による神の救いのご計画の実現」に至るように聖書の「健全な教え」すなわち「基本原則」に基づいて建て上げられてこそ実現するものです。

 「額に汗する労働」: その人がこの地上で生を受けたときから備えられている能力、賜物を見出し、喜んで取り組める仕事を見出すよう取り組みます。その働きの豊かな対価は結婚を実現させ、自分たちの必要を自ら満たす責任を果たすと共に、余剰の富を助けを必要とする人々のために用いることができます。それ自体が主の宣教大命令を実現するものとして取り組みます。私たちの「良いわざ」としての生き方が宣教と密接に関わるもの、むしろ一体としてのクリスチャン生涯を確立します。これはまさに「持続可能な教会共同体」を実現するものです。同時に主の宣教大命令にも直結する取り組みになるというこを理解したいと思います。

 信仰の父アブラハムからはじまるイスラエルはダビデ、ソロモンにおいて栄華を極め「彼(ダビデ)はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」(Ⅱサム エル7:13)と約束されつつも、神の意図にかなわず、ついに王国は分裂し、北王国は「神の怒りの杖」アッシリアによって滅ぼされました。とは言え「--- 裏切る女、妹のユダもこれ(「神の怒りの杖」)を見た。背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、わたしが離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、自分も行って、淫行を行ったのをわたしは見た」(エレミヤ3:7-8)と主は痛烈に批判しています。ただ神の憐れみ、恵みによって存続したのがユダ王国でした。しかし、ついに暴虐の民バビロンによってユダ王国は捕囚の民となったのです。そこに神の摂理があり、神の民にとって異国の地が神の律法の意図を熟考する機会となりました。その方向性を与えたのが預言者エレミヤの預言のことばでした。

「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(エレミヤ29:4-7

ここに一つの原則を読み取ることができます。
①「額に汗する」労働
②結婚:家族の建て上げ
③次世代の建て上げ:信仰の継承
④自分たちの祝福から地域の繁栄に貢献する民

このような取り組みを通してイスラエルは捕囚帰還を果たし、再興したものの、再び「我が道を行く」後退のゆえに「信仰による神の救いのご計画」はメシヤ待望へと高まっていきます。神は神の民のゆがみを見通されてそのひとり子、イエス・キリストを真の人としてこの世に送られ、このキリストの完全な贖いの業のゆえに神の再創造の御業が実現することになりました。
 「信仰による神の救いのご計画」はキリストによる福音と福音に基づく「健全な教え」つまり「基本原則」に建て上げられることによって実現しました。まさにクリスチャン、クリスチャン家族、教会共同体はエレミヤを通して語られたように、地域の繁栄、幸いに貢献する存在そのものなのです。(続く)

2017年9月29日金曜日

ソクラテス問答(4)

先回、「ソクラテス問答」についての進め方について一つの資料を紹介しました。さらに確かな問答を展開するためにもう一つの資料を紹介します。実際に問答を導く体験をされた後に読んでいただき、検証し、そして再挑戦していただければと思います。「問答」は文字通り「学習者主体」で進められますので、理屈以上に実際の取り組みを積み重ねながら習得していくものです。

 教育の目的とは何か
    学び方を学ぶことである。
    あらゆる知識と知識を統合する。
    リーダーは、参加者が自分の今までの経験や思考過程を通して、自分なりの解答を見つけるよう促す必要がある。
    問答は真理や真意を知ろうと、声に出して思いめぐらす手法である。

1、基本事項(基本原則)を挙げる。(基本概念を深める)
2、物事の表面下にあるものを探求する。
3、思考の問題領域を追及する。
4、各自が自分の思考構造を理解できるようにする。
5、参加者がより明確で、正確かつ主題から離れないような発言に気をつけることができるようにする。
6、参加者一人一人が自分なりの論理で納得できるようにする。
7、参加者が思考の要素である主張、証拠、結論、争点となっている問題、前提、言外の意味、結果として当然言えること、概念、解釈、観点に気付けるようにする。

リーダーの役割: 考えるクリスチャンを建て上げる
    明確な認識:批評的な物の考え方を育てる。
そのために聞いて鵜呑(うの)みにせず、なぜ、そう考えられるのか、客観的に示す。
    そのために、クラスの環境が、真摯な態度、心を開いた語り方、理解しようとする聞き方、自律・自主の精神、論理性、自己判断ができやすい場とする。
    また、それがさらに一人一人の発言を促すことにつながることが感じられるようにする。

そうして初めて、参加者は問題を特定し、解決する自己能力を信じられるようになる。またそこから、自分で考えることが大事である、との思いを抱くようになり、また、自分で考えることは悪いことでも、間違ったことではないと思えるようになる。

権限を与えられている人(リーダー)は「正しい」答えを与える人ではなく、正しい答えを見つけ出す手助けをしてくれる人であり、自分たちの内に理解する力が与えられているということを発見できるようにさせることである。すなわち、「ソクラテス問答」におけるリーダーは説教する人ではなく、問いを投げかける人である。(それだけにリーダー自身、よく学び、理解を深め、学びの方向性を明確に持っていることが前提になる)

 リーダーの備え: リーダーは以下のような質問をするには、どうすれば良いかを学び備える。
        意図を探る
        理由や証拠を挙げる
        問答が混乱に陥らない(論点を明確に)
        言わんとするところを理解しようとして聞く気持ちにさせる
        実のある比較対象を導く
        矛盾や不一致を明確にする
        言外の意味や当然の帰結を引き出すような質問をする

 考えるクリスチャンを建て上げるために:
        前もって分かりやすくお膳立てされた解答を与えることはしない。
        独善的な単なる意見を信じるようなことはさせず、大局的視点で考える。
        無理に質問者が「そうだ」と思えないような結論を押し付けたり、そのように問答を誘導したりしない。

1、大きな問題や課題をいくつかの部分に分け、扱いやすくする。
2、学習者自身にとって意味のある状況を作り出すことで学ぶ意義を見出せるようにする。
3、言い換えたり、質問し直したりすることで、学習者が自分の考えを明確にできるようにする。
4、考えさせる質問を投げかける。
5、問答が脇道にそれないようにする。
6、学習者同士が互いに説明し合うような働き掛けをする。
7、アドバイスをしたり、情報の用い方を示したりして、学習者自身が知らなければならない事は何かに気付けるようにする。
8、決して発言を中断させたり、無視したり、不当に却下したりせず、互いが互いの見解にきちんと向き合うよう対応する。

「ソクラテス問答」の三つの型
1、自然発生的・計画的でない問答
2、予備的問答
3、焦点を絞った問答

 1、自然発生的・計画的でない問答
  質問による探求→ 予期しない展開になる、疑問を質問に変える
 全く関係のないことを言ったとき、
 「新しい問題が提起されましたね」
 「なぜ、そう考えるか」
  「今の論点との関係は」
 ものによっては「後で取り上げましょう」

 質問による探求→ 予期しない展開になる、曖昧、あるいは一般的な言葉で応答した場合、
何人かの参加者に同じ質問に答えてもらう。
それぞれの理解の仕方を比べて見たり、違った角度からの質問をしたり、その比較を参加者自身にさせる。

 2、予備的問答
 リーダーが、参加者が何を知っているのか、どう考えているのかを知りたい時、色々な事を考えてもらいたい時に用いる。
 また後で問答をする時、役立つような質問、ある分野をどう考えているのか、問題領域や気付いていない偏見を明確にし、その人の興味や矛盾点を知るために用いる。

 3、焦点を絞った問答
ソクラテス問答の主要な型: 論点や概念を実際に深める。
参加者に自らの見解や全体像を明確にし、類別、分析、評価し、知っている事と、知らない事を判別し、関連のある事実と知識を統合してもらうことで、問答がより深く広がり、また焦点が絞られていく。
 幅広く秩序だった統合された問答をすることで、参加者が色々な考え方や洞察を発見し、それを発展させ、他の人たちと分かち合う体験をしてもらう。
前もって計画し、この問題をどう捉えているだろうか、そう考える根拠は何だろうか、どこから問題となる考え方が起こるのか、この問題に関して他にどのような事を考えるだろうか、どのような結論に達する可能性があるだろうか等々を考えておく。
リーダーはいつ、どの型の質問をすれば「知性の炎を燃え上がらせる問答」となるかに精通し、感性を磨いておくよう訓練している必要がある。

ソクラテス問答の分類法〉:
人間の考え方には普遍的特質がある
   1、明確にするための質問
2、思い込み、前提がないかを探る質問
3、論拠・証拠・要因等を引き出す質問
4、見方・視点に関する質問
5、引き出せる推測、推論・当然の帰結を探る質問
6、論点(質問・疑問・問題)についての質問

1、明確にするための質問
 ・それはどのような意味ですか、 
・あなたの言っていることと、今話し合っていることとの関連は、つまり、それを別の言葉で言い換えるとどうなりますか、
・ここで一番問題となっていることは何だと思いますか、
 ・例えばどのようなことですか
  ・あなたが一番問題にしたいことは…ですか、
  ・それは例えばということですか
  ・もう少し説明してもらえますか
  ・なぜそういうのですか
  ・つまり、あなたの言いたいことは「… 」ですか

2、思い込み、前提がないかを探る質問
・あなたはどう思いますか、
・あなたならどう考えますか、
・あなたは… …と考えているように思えますが、
・あなたの論拠は全て… …  から来ているように思えますが、
・あなたは… … 考えているようですね、なぜそう取るのが当然だと思うのですか、

3、論拠・証拠・要因等を引き出す質問
・例えばどのようなものが挙げられますか。
・あなたがなぜそう言えるのか教えてください。
・それは信じるに足るだけの十分な証拠と言えますか。
・あなたがその結論に達した理由は何ですか。
・それが正しいかどうかどうすれば分かりますか。

4、見方・視点に関する質問
・あなたは --- の視点からこの問題を捉えようとしていますが、なぜ --- ではなくて--- なのですか。
・他の考え方を持つ人たちはどう答えるでしょう。なぜ違った答えをするのでしょうか。どこからその違いが出てくるのでしょうか。
・この問題を違った角度から見ている人、違った角度からも見られると考える人はいますか。

5、引き出せる推測、推論・当然の帰結を探る質問
・つまりあなたの言いたいことは --- ですか、
--- と言われますが、つまり --- ということですか、
・もしそうなったとしたら、そのことの故に他にもどのような事が起こるはずだと思いますか。なぜですか、
・それはどのような影響を与えると思いますか。
・それは必ず起こることですか、それとも起こる可能性があることですか、

6、論点(質問・疑問・問題)についての質問
・どうしたらこの問題を解くことができると思いますか、
・誰かこの問題を解決できる人はいませんか、
・論点は明確ですか。皆さん論点が何であるか理解できますか、
・この問題を考えるとき推測されることは何ですか、
・この問題はなぜ重要なのですか、

ソクラテス問答: 思考の四つの方向論理
        「人には、考えを引き出してくる方向が4つある」
        ①どう考えるかは、その人の人生であり、②どのような根拠で、③どのような証拠をあげて、④どのように推論するかによって決まる。
        どう考えるかで、私たちの進む方向が決まる。
        どう考えるかは、この4方向を色々使いながらなされる。
        与えられた主題に対し、なぜそのように考えるのかを内省する機会を与える。
        自分の考えを立証しているか、あるいは立証できるかよく考える機会を与える。
        そう考えることでどのような推論をし、結論を引き出しているかを熟考する機会を与える。
        自分と考えの違う人が筋の通った反論を展開した場合、あるいは考慮すべき別の可能性を提起した場合どうするかを考えさせる。
        さらに「論点の明確化」と「論点を質問する」

不思議に思う! 自分で不思議に思うことを不思議に思う。
        参加者全員の思考が開花するようにリーダー自身が色々不思議に思う必要がある。
 ※色々質問を試す
 ※参加者の生活に密着した質問
 ※あきらめない。
  参加者が答えられないとき、
   ①質問の言い換え、
   ②質問の小分けにし、
   ③単純な質問をする。

参加者の習熟度に添う必要がある(学習者主体)
    参加者に合わせた質問を準備する。
    すぐに参加者とソクラテス問答を十分にできるなどと考える必要もない。
この方法を使えば、小学生であっても、特に高等教育を受けていない人とであっても、誰とでも理解を深める問答をすることができる。

Socratic Questioning and RoleRichard W.Paul,Ph.D.
Director the Center for Critical Thinking and Moral Critique
Sonoma State University
Chair, National of excellence in Critical Thinking
Published by Foundation for Critical Thinking, Santa Rosa,CA


2017年9月21日木曜日

「ソクラテス問答」(3)

「ソクラテス問答」実際について、一つの参考資料を紹介します。BILDのインターナショナルサミットに参加した際にいただいた資料の一つです。実際に問答を導く際の参考にしてみてください。初めて取り組む方にとって適切な手引き書です。



ソクラテス問答を導くにあたって
リチャード・クレマー
(by Professor Richard Kremer, Dartmouth)

 「質問されれば1日はそれを思いめぐらそう。しかし質問することを教えれば人は死ぬまで問い続ける。」―― 中国の格言

Ⅰ.基本前提:
ソクラテス問答は問答であって講義ではない。リーダーの役割は参加者一人一人の知識と経験を引き出し、それを整理し直して新しい何かを作り上げることである。参加者の発言にいちいち講釈を加えたり、さらには、長々と自分の考えを述べたりするようなことがあってはならない。質問に徹すること。

Ⅱ.基本ルール:
ソクラテス問答をするに当たっては、お互いがお互いの発言を尊重すること。決して、誰かが答えようとしている時に横やりを入れたり、話を制するような態度をしたり、隣の人と耳打ちしたりしてはならない。リーダーから指名されても断って構わないし、その理由を言う必要もない。リーダーも他の参加者もそのことで非難するようなことがあってはならない。このルールはソクラテス問答をする前に必ず確認し、守ること。

Ⅲ.リーダーはソクラテス問答をする前に、該当するテキスト箇所を十分に読み深め、参加者への質問を予め作っておく。

Ⅳ.質問の種類
A.答えが集約される質問(正しいか間違っているかといった事実認否的質問)
1.情報チェック:何時、どこで、誰が、どうした、
2.読んだことの反復:聖書は何と言っているか。

B.答えが分かれる質問(正しい答えがいくつかある質問)
1.推論させる質問:聖書の情報から当然導き出されることを考えさせる(推論)
2.解釈させる質問:聖書の記述から考えられることを検証する(推論の妥当性)。
3.移行させる質問:聖書の考えを新しい時代、地域、状況に置き換える。
4.内省させる質問:ソクラテス問答を通して、なぜそのように教えられ、考えさせられるようになったかを検証する。

V.質問の順序、ないし、段階を踏む質問
A.質問の手法
1.まず簡単な質問で始め、順次複雑な質問へと進んで全体を終えるようにする(答えが集約する質問から分散する質問へ)
 2.一つの問答の中でも何度か簡単な質問から複雑な質問へ、を繰り返す。

B.質問を投げかける相手を選ぶ手法
1.無作為:無作為に参加者を指名する。手を挙げて答えてもらう。
2.ソクラテス問答:同じ人に質問をいくつか重ねていくことで、その人の発言を明確にしたり、発言したりする前には気付いていなかった何かに気付くようにさせる。

いくつか正解がある質問に対して明らかに「間違った」解答がなされた場合どうする
 A.その解答者が「正解の一つ」に行き着くように再度違った角度からの質問をする。

B.解答者にその根拠を聞く:なぜそう考えるのか。何か例を挙げることができるか。

C.別な解答者に同じ質問をする。

Ⅶ.問答のスピード感
A.解答者にいちいちお礼を言ったり答えを繰り返したりしないで速やかに次の質問に移る。とにかく「対話・問答」、議論を進め、考えることに集中する。

B.答えを急がせない。ただし中々答えられないでいるような場合は質問の仕方を変えるとか、他の人に当てて欲しいか聞く。

C.決してリーダーが答えを出すようなことをしない。一人がダメでも他の人、また別な人と質問をしていく。

Ⅷ.最後にリーダーは、自分が取り扱おうとしていた大事な点を自分でまとめるか、参加者にまとめてもらうようにする。

どうしたらソクラテス問答が成功したと言えるか
これが成功した問答と言えるものはない。しかし、ソクラテス問答をしている時に、参加者同士で質問し合うような状況が生まれたり、お互いに考えを引き出しあったりするようになれば、参加者が何かしら刺激を受けていると言える。その時は静かに聞き役に回り、やり取りを中断させないようにする。

X.  Further reading:
Browne, M. Neil and Keeley, Stuart M.  Asking the right questions: A guide to critical thinking. 2d ed. Englewood Cliffs: Prentice Hall, 1986.
Wolf, Denis P."The art of questioning."  Academic connections (Winter 19487): 1-8.

2017年9月20日水曜日

「ソクラテス問答」(2)

「ソクラテス問答」はどこで: 実際にどこで「対話・問答」が行われるかについて紹介したいと思います。BILDから出版されている「基本原則シリーズ」Ⅰ、Ⅱ、Ⅲがあります。その構成はシリーズⅠが核心的聖書の基本原則である「神の家族である教会」について、シリーズⅡはもう一つの核心的的聖書の基本原則、神の家族のもとで建て上げられる「各家族の建て上げ」について、それぞれ四冊のテキストがあります。各テキスト毎に核心的基本原則に関わる四つの主題(これも「基本原則」と言える)のもとに五つの論点を取り上げ、最後の六課ですべてを統合する取り組みがなされるように構成されています。シリーズⅢは五冊のテキストで、Ⅰ、Ⅱと基本的に同じ構成で、聖書解釈の原則も含め、聖書神学の手法について、同時に教会建て上げについて「信仰による神の救いのご計画の実現」に関わる原則を学べるように構成されています。

そして各シリーズの各課毎に以下の四つ分野に分けて取り組むよう構成されています。
1、みことばを学ぶ
2、文献に当たる
3、論点を考える
4、基本原則を適用する

この四項目のどこでいわゆる「ソクラテス問答」が行われるかと言えば、皆さんお分かりのように「3、論点を考える」においてです。「対話・問答」を実のあるものにするために「みことばを学ぶ」と「文献に当たる」においてこの課の論点について理解を確かなものにしておく必要があります。

理想的取り組み: ですから、学習者個々人が事前に取り組んでいることを前提にするなら、共に集まった時に「基本原則」を学ぶ取り組みは「論点に当たる」に焦点を当て、その課の論点を「対話・問答」によって深められることが理想です。みことば理解の確かさ、推論の妥当性、また文献の骨子を理解し、その上、みことば理解にどれだけ貢献しているかを確認しながら、基本原則を、現在の自分たちが置かれている状況の中で、摂理の内に置かれた文化の中でどのように実践できるかを考え、さらに意志的に取り組む新たな一歩を見出すために互いに問答します。

ここでも注意したいことは「論点:○○」とあり、「話し合いの前に論点を考えてみましょう」とあり、いくつか問いが記されています。しかし、その質問が共に行う問答のための問いではありません。それは問答の前に学習者個々人が事前に考えを整理しておくためであり、「ソクラテス問答」の備えです。その上で、問答に臨みます。しかし、慣れていないこともあり、そう容易ではないようです。

順を追って考えてみましょう。

「みことばを学ぶ」から「中心的な教えをまとめる」: ここでは論点を考える聖書箇所があり、熟読して聖書の著者の意図を文脈を含めて読み取る作業です。しかし、大半のクリスチャンたちの聖書に向き合う習慣、つまり自分の印象、自分の関心事から聖書を読んでしまう傾向があり、著者の文脈を「無視して」とまで言えないまでも、名文句、格言的な聖句を探す読み方、自分の主観を優先する読み方になりがちです。もちろん信仰者として生きる自分にとって、どのような影響があるかを考えながら聖書を読むことは大切ですが。ここに上げられている質問は主観的な思い込みから離れて客観的に著者の意図に近づくため、次の取り組み「中心的な教えをまとめる」ためにあります。つまり「質問を読んでよく考えてみましょう」にあるいくつかの問いが「対話・問答」のための問いではないということです。

基本原則シリーズの学びは「学習者主体」の学びでもありますので、自ら中心的教えを理解する一助としていくつかの問いが上げられています。主観を脇に著者の意図に集中し、また多角的視野で考えながら著者の意図を明らかにしていきます。この質問が完璧な問いだ、というわけでありませんが、自分の関心事、前提、主観的な思い込みから離れて客観的に著者の意図に近づくため、と考えてみてください。あくまでもこの課の聖書箇所の中心的な教えを見出すことが目的です。

翻訳テキストのゆえに文化の違いから考えにくい問いであったり、翻訳の的確な日本語表現でないことは避けられません。しかし、意味不明の表現は別として、聖書箇所を読み、文脈を考え、中心的な教えを見出す点で、むしろ客観的に聖書に向き合い、その意図を明らかにしていけるのではと思います。

批評的に文献を読む: グループによっては「みことばを学ぶ」の取り組みを考えるための各問いについて、互いに発表し合って、中心的な教えを確認することもなく「では、文献を読んでみましょう」と進められるを見、聞きすることがあります。これでは本来の学習目的を逸することになります。また、学習者のうちに納得感がないまま進められることになりますので、結果的に学びを中座してしまうことになりかねません。優先されるべきは聖書の意図を捉えることです。そうすることで文献に対して真の意味で批評的に向き合い、読み、理解を確かなもにすることを可能にします。是非、本来の取り組みに挑戦していただきたいと思います。

学習者主体を実現する次善の策: 普段から聖書記者の意図を探る取り組みを行っている場合はテキストを渡されてもある程度のことは取り組むことができるでしょう。しかし、大半のクリスチャンたちはそうした学びの経験はありません。それで予習をしてくることを前提に共に集まったときに「みことばを学ぶ」の各問いについて発題し、共に考え、根拠となるみことば、文脈からの推論の妥当性等を互いに確認し合いながら聖書の読み方、著者の意図を見つけ出す術を互いに補完し合えるようにします。教えてしまうのではなく「学習者主体」を大切に学習者自身が気づくことができるように導きます。次善の策として、ある程度、学習の仕方に慣れるまでそのように取り組んでみてください。

書き記された神のことば、聖書ですので、読み手中心にならない限り、著者の意図はそれぞれ異なる、と言うことにはなりません。共に共有できるところまで互いに理解を深められるようにします。そして、必ずそのテキストでの中心的な教えにたどり着けるように取り組みます。その上で「文献に当たる」に進むようにします。

「委任」: C-BTEパラダイムのワークショップやセミナーに参加していることを前提に、学び方に慣れるまでは、取り組みの指導は牧師が担当されるのが望ましいと思います。もちろん牧師であっても聖書神学の術を事前に承知しておくことが前提です。前提の理解としてはガイド「基本原則を教える」の内容を共有できていることです。そしてグループでの取り組みを導いていく中で、必ずみことば理解にセンスのある兄弟姉妹に出会うはずです。その時、その方に「委任」し、グループの学びを導いていただきます。牧師はしばらく傍らで支援し、確かな進め方を確認できたときに文字通り「委任」します。

2017年9月19日火曜日

「ソクラテス問答」

なぜ、「ソクラテス問答」: C-BTEの学習手法として「ソクラテス問答」が紹介されています。しかし、仮にその学習手法に合点したとしても、「なぜ、聖書に基づく取り組みにソクラテスを引き合いに出すのか」と疑問を呈する方も少なくありません。結論から言えば「問答」の手法についての表現にこだわる必要はありません。その意図、内容、「対話・問答」の手法を正確に捉えることが肝心です。

時代、時代には特有の思潮: 歴史を振り返ると、その時代、時代には特有の思潮があり、その影響を受けて価値観や物の見方、日常生活の様式まで変革をもたらしています。1549年、日本へのキリスト教伝来と共に信仰だけに限らず自然科学、哲学など人文科学の分野まで影響をもらしました。そして長い鎖国の時代がありましたが、江戸幕藩体制から明治維新への移行はヨーロッパ近代思想を受けての大きな変革は顕著な例です。

影響を受けるということではキリスト教も例外ではありません。キリスト教界で何の疑念もなく受け入れられている学問の一つ「組織神学」はまさに時代の思潮の変革の中で生まれた学問です。古くはギリシャ哲学、そして近世の合理主義の延長線上に体系化されました。「組織神学」それ自体は決して否定されるものではありません。ただ明確なのは、その体系が聖書の意図ではなく、人間側の学問的な意図から生み出されたものだということです。そして今回、取り上げている「ソクラテス問答」はその真逆の例です。

「ソクラテス問答」: C-BTEが目指すのはまず、聖書の意図、「信仰による神の救いのご計画」に基づいてクリスチャン人生の方向性を確立することです。ここに知恵の伝統「ハビタスの手法」に戻る必要があり、そして「ソクラテス問答」その手法を理解する必要があるわけです。

ソクラテスは紀元前400年頃の哲学者でありますが、その頃すでに同様の「対話・問答」が聖書の世界でもなされていたとうことです。ユダヤ教のラビたち、またユダヤ人の親子の教育的対話においても「それでは、あなたはどう考える?」と、子供自身の発想を促す問答がなされているとのことです。言うなら「問答」は普遍的な手法であったと言えます。

考えさせる問い: 先回、「ハビタスの手法」、知恵の伝統に立ち返ることについて紹介しました。知恵は一方的に教えられ、指示されて生まれるものではありません。日常体験に即して「考える」ことから生まれます。そして、基本的な教え、原理原則に基づいて考える過程において、適切な「問い」が発せられることにより、考えはより広がり、また深まります。人は本能のおもむくままに生きる存在ではなく、「神のかたち」として創造された人間、自ら持つ規範に基づいて取捨選択し、決断し、意志する人格的存在であることの特性、そのものを示しています。

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」(ロマ8:5)。

「あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい」(Ⅱコリント10:7)。

「私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます」(Ⅱテモテ2:7)。

「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」(ルカ12:27)。

聖書においては単に規則を与え、指示するだけでなく、原理原則に基づいて「考え」、そして日常においてどう一歩踏み出すかを促すみことばに出会います。ギリシャ語の世界でも「考える」と訳される言葉は多種多様です。そして日本語でも「考える」という概念は実に多様かつ豊富で、広がりがあります。鑑(かんが)みる・考え込む・判ずる・思考・思案・思索・思量・思惟(しい)・考察・考量・思慮・尊慮・深慮・熟慮・熟思・熟考・黙考・沈思・静思・瞑想(めいそう)・論断・決断・意図・志向等々、豊富です。

「ソクラテス問答」、「対話・問答」において大切なのはリーダーがどのような問いを発すかが鍵となります。聖書を読み、その意図を考える上で、また引き出されたみことばの原理原則に基づき、日常において具体的にどう一歩を踏み出せるかを決断するまでに適切な問いが投げかけられる必要があります。隠された解答を見つけ出すための問いでは決してありません。(続く)

2017年9月15日金曜日

聖書の「基本原則」

C-BTEの五つの基本概念 
   1.「C-BTE」:「教会主体の神学教育」(承前)
 2.「委任」という考え方(承前)
 3.「建て上げ」という考え方(承前)
 4.「ハビタス」としての神学(承前)
 5.聖書の「基本原則」

聖書の「基本原則」: 聖書の「基本原則」についてはラベル「基本原則」の項でも確認いただければと思います。今回は最後の二つの基本概念、「ハビタス」と「基本原則」はC-BTEパラダイムの考え方の中で「なぜ、神学教育か」を中心に考えさせられる基本概念である、という視点から記したいと思います。

原理原則はあらゆる分野で事を発展させるなくてはならい概念です。創造主がご自分の「かたち」として創造された人間のキリストにある再創造の御業においても例外ではないようです。神の救いの御業はある意味、超自然的な業でありますが、同時に私たちの思考の領域で考え方を変える取り組みによって実現していくことが明確に記されています。

クリスチャン生活の核心的なこと: キリストによる福音理解について、特に「新生」についてローマ人への手紙6、12章を読みますと、福音を信じた者は福音に基づいて意志的に考え、これまでの考え方を変え、その新たな考え方に基づいて見える仕方で生き方を変えることが必要不可欠である、ということです。まさに本来の「神学する」という行為そのものに他なりません。

「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。--- このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい」(6:3-4,11)。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(12:1-2)。

つまり、聖書の基本原則に基づいて私たちの思考の領域を変え、実際の生き方を変える取り組みはクリスチャン生活の核心的なこと、聖書の世界観を確立するとても重要な取り組みです。そうであれば聖書の基本原則が何であるのかを明確に知る必要があります。見逃すことのできない大枠はキリストの福音と福音に基づく生き方に関する教えです。その上でビルドのテキストでは「神の家族である教会」、そして教会を構成する「各家族」の建て上げの中で福音に基づく生き方の基本原則を明らかにしております。

この聖書の基本原則に基づいてこそ、聖書的に考える考え方を確立し、神の再創造の御業が何であるかを考え、具体的に実現していくことになります。さらにより具体的に考え、福音、神の再創造の御業を踏まえて聖書を読み、考え、さらに基本原則が何であるのかを明らかにしていくことになります。

包括的C-BTE の五つの主要方針:「キリストと使徒たちの手法」に基づく
1.C-BTEは神の家族地区教会の生活と諸教会の活動に根差していなければならない。 
2.C-BTEはどうしたら忠実な人々に健全な教義を委ねていけるかを第一義的に考えるためのものであると理解されなければならない。
3.C-BTEは教会を建て上げていく過程の中で用いられなければならない。
4.C-BTEは年齢、職業、性別に関係なくすべてのクリスチャンに必要なものと考えられなければならない。 
5.C-BTEは信仰の「基本原則」の学びから始められなければならない。

結論:C-BTEとは
1.C-BTEとは指導者を訓練するための、新しいが古い、「キリストと使徒たちの手法」に基づくパラダイムである。 
2.C-BTEとは、次世代指導者(リーダー)を生み出していくために新約聖書のモデルに戻ることである。
3.C-BTEとは、伝道・牧会、学問的な学び、人格の成長・発展における調和のある学びである。
4.C-BTE とは「ハビタス」(知恵の伝統)としての神学の本質を取り戻すことである。