2017年10月19日木曜日

地域に貢献する教会

「教会主体」の神学教育を進める「教会」はどうあるべきなのか、奥義としての教会がこの世にあってどのような存在であるのか、基本的な考えを確認しておきたいと思います。

1、神の家族である教会は教会内外において寄与・貢献する共同体である。
2、貢献する資源の一つ、富は教会に還元され、教会共同体のみならず地域共同体においても益となるように用いられる豊かな資源となるべきである。

基本原則シリーズⅠは「神の家族」である「教会」について、学習者主体のもとに学びが進められます。神の再創造の御業としての「いのちの共同体」である教会はまさに神の創造目的を実現する共同体です。人間の創造主に対する罪の本質は「自己中心」、「自己本位」です。結果として真のいのちの交わりとしての共同体はゆがめられました。そのゆがめられた共同体を創造目的に再興する目的のためにキリストによる福音、先行的救いが備えられています。その福音によって生まれた再創造の御業としての教会は、建て上げられた教会に留まらず、地域共同体にまで広がっていくことが意図されています。それが主の宣教大命令と直結します。それゆえ神の再創造の御業が実現する真の共同体は人を建て上げる最良の場であるということです。

「個人の尊厳」それ自体は否定されません。しかし「個人主義」は聖書の創造目的とは異なる価値観です。すなわち、建て上げられるクリスチャンたちは個々人はもはや「我が道を行く」存在ではなく、聖書の基本原則に基づいて互いに尊敬と信頼を持ち、互いに建て上げられていく存在なのです。個々人の生活から、家族の中で、地域共同体、つまり職場や学校教育の場をも含め、キリスト者としての生き方を知恵深く習慣化していくように取り組みます。学習者主体、かつ「対話・問答」の学習を通して、自己中心を克服し、いのちの交わりである共同体の中で生きる知恵を豊かに育んでいきます。それが主の宣教大命令に応える取り組み、宣教大命令を実現する取り組みに直結しているのです。

基本原則シリーズⅡにおいては神の家族教会の核となる個々の家族、神の摂理の中で与えられた家族をいかに建て上げていくかについての取り組みです。この「個々の家族があって教会」と考えがちですが、神の家族である教会には個々の家族を建て上げていくリーダーシップが与えられています。そして建て上げられた家族は次世代、三世代、さらには四世代へと建て上げ、同時に信仰の継承に取り組みます。それを可能にする「額にあせする」労働の尊さを理解します。これを実現するためには若い時代から「信仰による神の救いのご計画の実現」に至るように聖書の「健全な教え」すなわち「基本原則」に基づいて建て上げられてこそ実現するものです。

 「額に汗する労働」: その人がこの地上で生を受けたときから備えられている能力、賜物を見出し、喜んで取り組める仕事を見出すよう取り組みます。その働きの豊かな対価は結婚を実現させ、自分たちの必要を自ら満たす責任を果たすと共に、余剰の富を助けを必要とする人々のために用いることができます。それ自体が主の宣教大命令を実現するものとして取り組みます。私たちの「良いわざ」としての生き方が宣教と密接に関わるもの、むしろ一体としてのクリスチャン生涯を確立します。これはまさに「持続可能な教会共同体」を実現するものです。同時に主の宣教大命令にも直結する取り組みになるというこを理解したいと思います。

 信仰の父アブラハムからはじまるイスラエルはダビデ、ソロモンにおいて栄華を極め「彼(ダビデ)はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」(Ⅱサム エル7:13)と約束されつつも、神の意図にかなわず、ついに王国は分裂し、北王国は「神の怒りの杖」アッシリアによって滅ぼされました。とは言え「--- 裏切る女、妹のユダもこれ(「神の怒りの杖」)を見た。背信の女イスラエルは、姦通したというその理由で、わたしが離婚状を渡してこれを追い出したのに、裏切る女、妹のユダは恐れもせず、自分も行って、淫行を行ったのをわたしは見た」(エレミヤ3:7-8)と主は痛烈に批判しています。ただ神の憐れみ、恵みによって存続したのがユダ王国でした。しかし、ついに暴虐の民バビロンによってユダ王国は捕囚の民となったのです。そこに神の摂理があり、神の民にとって異国の地が神の律法の意図を熟考する機会となりました。その方向性を与えたのが預言者エレミヤの預言のことばでした。

「イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために【主】に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(エレミヤ29:4-7

ここに一つの原則を読み取ることができます。
①「額に汗する」労働
②結婚:家族の建て上げ
③次世代の建て上げ:信仰の継承
④自分たちの祝福から地域の繁栄に貢献する民

このような取り組みを通してイスラエルは捕囚帰還を果たし、再興したものの、再び「我が道を行く」後退のゆえに「信仰による神の救いのご計画」はメシヤ待望へと高まっていきます。神は神の民のゆがみを見通されてそのひとり子、イエス・キリストを真の人としてこの世に送られ、このキリストの完全な贖いの業のゆえに神の再創造の御業が実現することになりました。
 「信仰による神の救いのご計画」はキリストによる福音と福音に基づく「健全な教え」つまり「基本原則」に建て上げられることによって実現しました。まさにクリスチャン、クリスチャン家族、教会共同体はエレミヤを通して語られたように、地域の繁栄、幸いに貢献する存在そのものなのです。(続く)

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